鶴ヶ城の塗り絵

難易度:
~

鶴ヶ城の特徴(とくちょう)

日本(にっぽん)でただひとつ、赤(あか)い屋根(やね)の天守(てんしゅ)

福島県会津若松市(ふくしまけんあいづわかまつし)にある鶴ヶ城(つるがじょう)は、屋根(やね)が赤(あか)いお城(しろ)なんだ。日本(にっぽん)にはお城(しろ)がたくさんあるけれど、天守(てんしゅ)の屋根(やね)が赤(あか)いのは、ここだけなんだよ。まっ白(しろ)な壁(かべ)と赤茶色(あかちゃいろ)の屋根(やね)の組み合わせは、ほかのどのお城(しろ)でも見(み)ることができないんだ。正式(せいしき)な名前(なまえ)は若松城(わかまつじょう)といって、会津若松城(あいづわかまつじょう)と呼(よ)ばれることもあるよ。

赤(あか)い瓦(かわら)は、会津(あいづ)の冬(ふゆ)を越(こ)すための工夫(くふう)

どうして屋根(やね)が赤(あか)いんだろう。じつはこれ、かざりではなくて寒(さむ)さ対策(たいさく)なんだ。会津(あいづ)の冬(ふゆ)はとても寒(さむ)くて、ふつうの瓦(かわら)だと、しみこんだ水(みず)がこおって瓦(かわら)が割(わ)れてしまうんだよ。そこで、瓦(かわら)の表面(ひょうめん)に釉薬(ゆうやく)をぬって焼(や)いた、じょうぶな瓦(かわら)が使(つか)われたんだ。この釉薬(ゆうやく)に鉄分(てつぶん)がふくまれているので、焼き上(あ)がると赤茶色(あかちゃいろ)になるんだよ。慶安元年(けいあんがんねん)ごろに赤(あか)い瓦(かわら)がふかれた記録(きろく)が残(のこ)っているんだ。

「鶴ヶ城(つるがじょう)」という名前(なまえ)は蒲生氏郷(がもううじさと)から

このお城(しろ)はもともと黒川城(くろかわじょう)と呼(よ)ばれていたんだ。名前(なまえ)を変(か)えたのは蒲生氏郷(がもううじさと)という戦国時代(せんごくじだい)の武将(ぶしょう)だよ。氏郷(うじさと)は町(まち)の名前(なまえ)を「黒川(くろかわ)」から「若松(わかまつ)」にあらため、文禄二年(ぶんろくにねん)に大(おお)きな天守(てんしゅ)を建(た)てて、城(しろ)の名(な)を「鶴ヶ城(つるがじょう)」としたんだ。「若松(わかまつ)」という名(な)は、氏郷(うじさと)の生(う)まれた土地(とち)の近(ちか)くにあった「若松(わかまつ)の杜(もり)」から取(と)ったものだと言(い)われているよ。

まっ白(しろ)な壁(かべ)に、小(ちい)さな窓(まど)がならぶ

鶴ヶ城(つるがじょう)の壁(かべ)は、上(うえ)から下(した)までまっ白(しろ)な漆喰(しっくい)なんだ。熊本城(くまもとじょう)や松本城(まつもとじょう)のような黒(くろ)い板(いた)の壁(かべ)は、どこにもないよ。よく見(み)ると、白(しろ)い壁(かべ)のあちこちに小(ちい)さな四角(しかく)い穴(あな)があいているのが分(わ)かるかな。これは狭間(はざま)といって、中(なか)から鉄砲(てっぽう)や弓(ゆみ)で外(そと)をねらうための穴(あな)なんだ。かざりではなくて、戦(たたか)うための穴(あな)なんだね。

攻(せ)め落(お)とされなかった城(しろ)

慶応四年(けいおうよんねん)におきた戊辰戦争(ぼしんせんそう)で、鶴ヶ城(つるがじょう)は新政府軍(しんせいふぐん)に取りかこまれ、大砲(たいほう)で撃(う)たれ続(つづ)けたんだ。それでも新政府軍(しんせいふぐん)は、とうとう城(しろ)の中(なか)に入(はい)ることができなかったんだよ。一(いち)か月(がつ)にわたる籠城(ろうじょう)のすえ、会津藩(あいづはん)は降伏(こうふく)を受(う)け入(い)れて城(しろ)を明(あ)けわたしたんだ。攻(せ)め落(お)とされたわけではないので、難攻不落(なんこうふらく)の名城(めいじょう)とたたえられているんだよ。

いまの天守(てんしゅ)は、建(た)て直(なお)されたもの

いま見(み)ることのできる天守(てんしゅ)は、じつは明治(めいじ)のはじめに一度(いちど)こわされているんだ。城(しろ)の建物(たてもの)はすべて取りはらわれて、しばらくのあいだ天守(てんしゅ)のない時代(じだい)が続いたんだよ。いまの天守(てんしゅ)は昭和四十年(しょうわよんじゅうねん)に、鉄筋(てっきん)コンクリートで建(た)て直(なお)されたものなんだ。外(そと)から見える形(かたち)は、昔(むかし)の姿(すがた)を写(うつ)して作(つく)られているよ。

鶴ヶ城の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

屋根(やね)は赤茶色(あかちゃいろ)。ここがいちばんの見せどころ

鶴ヶ城(つるがじょう)を塗(ぬ)るなら、まず屋根(やね)を赤茶色(あかちゃいろ)にしよう。まっ赤(あか)ではなくて、茶色(ちゃいろ)に赤(あか)を重(かさ)ねたような、少(すこ)しくすんだ赤(あか)がぴったりだよ。ここを灰色(はいいろ)にしてしまうと、ほかのお城(しろ)と同(おな)じになってしまうんだ。屋根(やね)はいちばん面積(めんせき)が広(ひろ)いところだから、力(ちから)を入(い)れずにうすくむらなくぬっていくときれいに仕上(しあ)がるよ。

白(しろ)い壁(かべ)は、思(おも)いきって塗らない

壁(かべ)はまっ白(しろ)な漆喰(しっくい)だから、塗らずに白(しろ)いまま残(のこ)すのがいちばんきれいだよ。屋根(やね)を赤(あか)く塗ったあとに白(しろ)い壁(かべ)を残(のこ)すと、その差(さ)で形(かたち)がくっきり浮(う)かび上(うえ)がってくるんだ。うすく色(いろ)をつけたいときは、ごくうすい灰色(はいいろ)やクリーム色(いろ)を軽(かる)くのせるくらいにしておこう。壁(かべ)にならぶ小(ちい)さな四角(しかく)い穴(あな)は、ここだけ濃(こ)い色(いろ)で塗(ぬ)ると引(ひ)きしまるよ。

最上階(さいじょうかい)の手(て)すりは、黒(くろ)っぽく

いちばん上(うえ)の階(きざはし)のまわりをぐるりと囲(かこ)んでいる手(て)すりは、実物(じつぶつ)では黒(くろ)っぽい色(いろ)をしているんだ。ここを濃く塗(ぬ)ると、白(しろ)い建物(たてもの)のまん中(なか)に一本(いちぽん)の線(せん)が入って、絵(え)がぴりっとしまるよ。柵(さく)と柵(さく)のあいだは白(しろ)いままにしておくと、すきまが生(い)きてくるんだ。

桜(さくら)はうすいピンク。ぜんぶ塗らなくていい

二枚目(にまいめ)と三枚目(さんまいめ)には満開(まんかい)の桜(さくら)が入っているよ。桜(さくら)はうすいピンクで、力(ちから)を入(い)れずにふわっと塗(ぬ)ってみて。花(はな)をぜんぶ塗(ぬ)る必要(ひつよう)はないんだ。白(しろ)いまま残(のこ)す花(はな)をところどころに混(ま)ぜると、光(ひかり)が当(あ)たっているように見えて、かえってきれいになるよ。枝(えだ)はこげ茶色(ちゃいろ)で細(ほそ)く塗(ぬ)ると、ピンクがいっそう引(ひ)き立(た)つんだ。

鶴ヶ城の豆知識(まめちしき)

黒(くろ)い瓦(かわら)から赤(あか)い瓦(かわら)へ。四十五年(よんじゅうごねん)ぶりの葺(ふ)き替(か)え

じつは少(すこ)し前(まえ)まで、鶴ヶ城(つるがじょう)の屋根(やね)は黒(くろ)い瓦(かわら)だったんだ。2011年(ねん)3月(がつ)、四十五年(よんじゅうごねん)ぶりに屋根(やね)の瓦(かわら)が葺(ふ)き替(か)えられて、黒瓦(くろかわら)から赤瓦(あかがわら)へと変わったんだよ。これは、江戸時代(えどじだい)の終(お)わりごろの姿(すがた)にもどすための工事(こうじ)だったんだ。だから、それより前(まえ)に撮(と)られた写真(しゃしん)では、いまとちがって黒(くろ)い屋根(やね)の鶴ヶ城(つるがじょう)が写っているんだよ。

天守(てんしゅ)はもともと七層(ななそう)だった

蒲生氏郷(がもううじさと)が建(た)てたときの天守(てんしゅ)は、いまよりずっと高(たか)い七層(ななそう)だったと伝(つた)えられているんだ。その後(あと)の地震(じしん)や建(た)て直しをへて、いまと同(おな)じ五層(ごそう)になったんだよ。もし七層(ななそう)のままだったら、日本(にっぽん)でもとびきり背(せ)の高(たか)いお城(しろ)になっていたかもしれないね。

城(しろ)の中(なか)には、とうとう入(い)れなかった

戊辰戦争(ぼしんせんそう)のとき、新政府軍(しんせいふぐん)は大砲(たいほう)などの新(あたら)しい兵器(へいき)をそろえて鶴ヶ城(つるがじょう)を攻(せ)めたんだ。それでも城(しろ)の中(なか)に攻(せ)め入(はい)ることはできなかったんだよ。会津藩(あいづはん)が城(しろ)を明(あ)けわたしたのは、戦いに負(ま)けて城(しろ)を奪(うば)われたからではなく、自分(じぶん)たちで降伏(こうふく)を決(き)めたからなんだ。この一(いち)か月(がつ)の籠城(ろうじょう)が、鶴ヶ城(つるがじょう)が「難攻不落(なんこうふらく)」と呼(よ)ばれる理由(りゆう)なんだよ。