平等院鳳凰堂の塗り絵

難易度:
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平等院鳳凰堂の特徴(とくちょう)

10円玉(えんたま)にえがかれているお寺(てら)!平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)

京都府宇治市(きょうとふうじし)にある平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)は、みんなが毎日(まいにち)つかっている10円玉(えんたま)にえがかれている建物(たてもの)なんだよ。財布(さいふ)の中(なか)の10円玉(えんたま)をよく見(み)てみると、左右(さゆう)にはねを広(ひろ)げたような形(かたち)のお堂(どう)が彫(ほ)られているのが分(わ)かるはずだよ。日本(にっぽん)でいちばん多(おお)くの人(ひと)が目(め)にしている建物(たてもの)、と言(い)ってもいいかもしれないね。

今(いま)から1000年(ねん)ちかく前(まえ)!平安時代(へいあんじだい)に建(た)てられた

鳳凰堂(ほうおうどう)が建(た)てられたのは、天喜元年(てんぎがんねん)、いまから約(やく)970年前(ねんまえ)のことなんだ。建(た)てさせたのは藤原頼通(ふじわらよりみち)という、当時(とうじ)いちばん力(ちから)を持(も)っていた貴族(きぞく)だよ。もともとこの場所(ばしょ)はお父(とう)さんの藤原道長(ふじわらみちなが)の別荘(べっそう)だったんだけれど、頼通(よりみち)がお寺(てら)に建(た)てかえたんだ。それから一度(いちど)も焼(や)けずに、平安時代(へいあんじだい)の建物(たてもの)のまま今日(きょう)まで残(のこ)っているんだよ。

屋根(やね)の上(うえ)に鳥(とり)がいる!2羽(はね)の鳳凰(ほうおう)

お堂(どう)の屋根(やね)のてっぺんをよく見(み)ると、鳳凰(ほうおう)という空想(くうそう)の鳥(とり)の像(ぞう)が2羽(はね)のっているよ。左右(さゆう)に1羽(はね)ずつ、向(む)かい合(あ)うように立(た)っているんだ。この鳳凰(ほうおう)と、建物(たてもの)ぜんたいが鳥(とり)の羽(はね)を広(ひろ)げた形(かたち)に見(み)えることから「鳳凰堂(ほうおうどう)」と呼(よ)ばれるようになったんだ。呼(よ)ばれ始(はじ)めたのは江戸時代(えどじだい)で、建(た)てられたときは「阿弥陀堂(あみだどう)」と呼(よ)ばれていたんだよ。

まん中(なか)と、左右(さゆう)にのびる翼廊(よくろう)

鳳凰堂(ほうおうどう)は、ぜんぶで4つの建物(たてもの)がつながってできているんだ。まん中(なか)の中堂(ちゅうどう)、その左右(さゆう)にのびる北翼廊(きたよくろう)と南翼廊(みなみよくろう)、そして中堂(ちゅうどう)のうしろにのびる尾廊(おろう)だよ。翼廊(よくろう)は人(ひと)が歩(ある)くための廊下(ろうか)ではなくて、見(み)た目(め)をうつくしくするための飾(かざ)りなんだ。だから中(なか)は通(とお)りぬけできないようになっているよ。

池(いけ)にうつる、もうひとつの鳳凰堂(ほうおうどう)

お堂(どう)の前(まえ)には阿字池(あじいけ)という池(いけ)があって、風(かぜ)のない日(ひ)には水面(すいめん)に鳳凰堂(ほうおうどう)がそっくりそのままうつるんだ。この池(いけ)は、あの世にあるという極楽浄土(ごくらくじょうど)のようすをこの世に作(つく)ろうとして掘(ほ)られたものなんだよ。お経(きょう)には「極楽(ごくらく)の仏(ふつ)さまは池(いけ)の上(うえ)にいる」と書(か)かれていて、そのとおりの景色(けしき)をつくったんだね。

中(なか)には金色(きんいろ)の大(おお)きな仏(ふつ)さま

中堂(ちゅうどう)の中(なか)には、阿弥陀如来(あみだにょらい)という金色(きんいろ)の仏(ふつ)さまがすわっているよ。作(つく)ったのは定朝(じょうちょう)という、平安時代(へいあんじだい)でいちばん有名(ゆうめい)な仏師(ぶっし)なんだ。正面(しょうめん)の格子(こうし)のすきまからは、外(そと)に立(た)ったままでも仏(ふつ)さまのお顔(かお)を見(み)ることができるように工夫(くふう)されているんだよ。

世界遺産(せかいいさん)にもなっている

平等院(びょうどういん)は1994年(ねん)に、「古都京都(こときょうと)の文化財(ぶんかざい)」のひとつとして世界遺産(せかいいさん)に登録(とうろく)されたんだ。宇治(うじ)は京都市(きょうとし)のとなりにある町(まち)で、お茶(ちゃ)の産地(さんち)としても有名(ゆうめい)なんだよ。鳳凰堂(ほうおうどう)を見(み)たあとに、宇治茶(うじちゃ)を飲(の)んで帰(かえ)る人(ひと)も多(おお)いんだ。

平等院鳳凰堂の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

建物(たてもの)は朱色(しゅいろ)。屋根(やね)は青(あお)みのある灰色(はいいろ)に

鳳凰堂(ほうおうどう)の柱(はしら)や壁(かべ)は朱色(しゅいろ)だよ。オレンジがかった明(あか)るい赤(あか)で塗(ぬ)ってみよう。屋根(やね)は瓦(かわら)なので、青(あお)みのある灰色(はいいろ)がぴったりだよ。屋根(やね)と建物(たてもの)で色(いろ)をはっきり分けると、写真(しゃしん)で見(み)たときの印象(いんしょう)に近(ちか)づくんだ。

屋根(やね)の鳳凰(ほうおう)と、楼(ろう)のてっぺんは金色(きんいろ)に

屋根(やね)の上(うえ)の鳳凰(ほうおう)2羽(はね)と、左右(さゆう)の楼(ろう)のてっぺんについている玉(たま)は金色(きんいろ)だよ。黄色(きいろ)に、少(すこ)しだけ茶色(ちゃいろ)やオレンジを重(かさ)ねると、金属(きんぞく)らしい重(おも)みが出(で)るんだ。ここだけ色(いろ)を変(か)えると、絵(え)ぜんたいがぐっと引(ひ)きしまるよ。

扉(とびら)の丸(まる)い金具(かなぐ)は、塗(ぬ)りのこして白(しろ)いままに

中央(ちゅうおう)の扉(とびら)にならんでいる丸(まる)いつぶは金具(かなぐ)だよ。まわりの扉(とびら)を朱色(しゅいろ)で塗(ぬ)ったあと、この丸だけは塗らずに白(しろ)いまま残(のこ)すと、金具(かなぐ)が浮(う)き上(あ)がって見(み)えるんだ。全部(ぜんぶ)ぬりつぶしてしまうと、この部分(ぶぶん)の面白(おもしろ)さが消(き)えてしまうよ。

柱(はしら)と柱(はしら)のあいだの奥(おく)は、黒(くろ)くしない

翼廊(よくろう)の柱(はしら)のあいだは、写真(しゃしん)では暗(くら)く見(み)えるところだよ。でも黒(くろ)でぬりつぶさないほうがいいんだ。うすい灰色(はいいろ)や水色(みずいろ)で軽(かる)く塗(ぬ)ると、奥(おく)に空間(くうかん)があることが伝(つた)わって、建物(たてもの)が立体的(りったいてき)に見(み)えるんだよ。

池(いけ)は上下(じょうげ)で色(いろ)を変(か)える

手前(てまえ)の池(いけ)は、遠(とお)いほうを青(あお)、手前(てまえ)を緑(みどり)がかった色(いろ)にして、少(すこ)しずつ変えていくといいよ。水面(すいめん)にうつった建物(たてもの)は、実物(じつぶつ)よりうすい色(いろ)で塗(ぬ)るのがコツなんだ。同(おな)じ濃(こ)さで塗(ぬ)ってしまうと、どちらが本物(ほんもの)か分からなくなってしまうからね。

白(しろ)い砂利(じゃり)は、ほとんど塗らない

建物(たてもの)と池(いけ)のあいだには白(しろ)い砂利(じゃり)がしきつめてあるよ。ここはほとんど塗らずに、うすい灰色(はいいろ)を少(すこ)しだけ置(お)くのがおすすめだよ。白(しろ)い場所(ばしょ)を残(のこ)すと、朱色(しゅいろ)の建物(たてもの)がいっそう鮮(あざ)やかに見(み)えるんだ。

平等院鳳凰堂の豆知識(まめちしき)

お札(さつ)にも鳳凰(ほうおう)がいる

10円玉(えんたま)には鳳凰堂(ほうおうどう)そのものが、そして一万円札(いちまんえんさつ)には鳳凰堂(ほうおうどう)の屋根(やね)にいる鳳凰(ほうおう)の像(ぞう)がえがかれているんだ。財布(さいふ)の中(なか)に、平等院(びょうどういん)が2つも入(はい)っていることになるね。

建(た)てられたのは「世の中(なか)が終(お)わる」と言われた年(ねん)

平安時代(へいあんじだい)の人(ひと)たちは、永承(えいしょう)7年(ねん)から末法(まっぽう)という、仏(ふつ)の教(おし)えが力(ちから)を失(うしな)う恐(おそ)ろしい時代(じだい)が始まると信(しん)じていたんだ。藤原頼通(ふじわらよりみち)が別荘(べっそう)をお寺(てら)に建(た)てかえたのは、まさにその年(ねん)だったんだよ。極楽浄土(ごくらくじょうど)をこの世に作(つく)ろうとしたのは、不安(ふあん)な気持(きも)ちの裏返(うらがえ)しだったのかもしれないね。

「鳳凰堂(ほうおうどう)」と呼(よ)ばれ始(はじ)めたのは江戸時代(えどじだい)

建(た)てられたときの名前(なまえ)は「阿弥陀堂(あみだどう)」だったんだ。鳳凰堂(ほうおうどう)という呼び名が広まったのは、大(おお)きな修理(しゅうり)が行(おこな)われた寛文(かんぶん)10年(ねん)ごろからなんだよ。900年(ねん)ちかくたってから名前(なまえ)が変わった、めずらしい建物(たてもの)なんだ。

翼廊(よくろう)は、通(とお)りぬけできない

左右(さゆう)にのびる翼廊(よくろう)は、見(み)た目(め)は立派(りっぱ)な廊下(ろうか)だけれど、実(じつ)は人(ひと)が歩けるようにはできていないんだ。床(ゆか)が低(ひく)くて天井(てんじょう)も低(ひく)いので、中(なか)を通ることはできないんだよ。見(み)た目(め)のうつくしさだけのために作られた、めずらしい造(つく)りなんだ。