松本城の塗り絵

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松本城の特徴(とくちょう)

いまも残(のこ)る天守(てんしゅ)のなかで、日本(にっぽん)でいちばん古(ふる)い

長野県松本市(ながのけんまつもとし)にある松本城(まつもとじょう)は、江戸時代(えどじだい)までに建(た)てられた天守(てんしゅ)がこわされずに残っている、めずらしいお城(しろ)なんだ。そのなかでも、五重六階(ごじゅうろくかい)の天守(てんしゅ)としては日本(にっぽん)でいちばん古(ふる)いと言(い)われているよ。外(そと)から見(み)ると屋根(やね)が五段(ごだん)に重(かさ)なっていて、中(なか)に入(はい)ると六階(ろくかい)まであるんだ。天守(てんしゅ)のはじまりは、戦国時代(せんごくじだい)につくられた深志城(ふかしじょう)というお城(しろ)なんだよ。

黒(くろ)と白(しろ)のコントラスト。板(いた)には漆(うるし)がぬられている

松本城(まつもとじょう)を見て、まず目(め)に入(はい)るのが黒(くろ)と白(しろ)のはっきりした対比(たいひ)だよ。それぞれの階(きざはし)の上(うえ)のほうが白(しろ)いしっくい、下(した)のほうが黒(くろ)い板(いた)になっているんだ。この黒(くろ)い板(いた)には漆(うるし)がぬられていて、雨(あめ)や雪(ゆき)から木(き)を守(まも)っているんだよ。漆(うるし)は乾(かわ)くとかたい膜(まく)になるから、まわりを取(と)りかこむアルプスの雪(ゆき)とならぶと、いっそう深(ふか)い黒(くろ)に見えるんだ。

国宝(こくほう)は、五(いつ)つの建物(たてもの)がつながったかたち

松本城(まつもとじょう)で国宝(こくほう)になっているのは、天守(てんしゅ)だけじゃないんだ。まん中(なか)の大天守(だいてんまもる)、その左(ひだり)につながる乾小天守(かんしょうてんしゅ)、二(ふた)つをつなぐ渡櫓(わたりやぐら)、そして右側(みぎがわ)にならぶ辰巳附櫓(たつみふやぐら)と月見櫓(つきみやぐら)、あわせて五(いつ)つの建物(たてもの)が国宝(こくほう)なんだよ。ぬりえでも、左(ひだり)に小(ちい)さい建物(たてもの)、右(みぎ)に低(ひく)い建物(たてもの)がつながっているのが分(わ)かるはずだよ。

戦(たたか)うためじゃない櫓(やぐら)「月見櫓(つきみやぐら)」

いちばん右(みぎ)にある低(ひく)い建物(たてもの)が月見櫓(つきみやぐら)だよ。ここだけは、ほかとちがって戦(たたか)うためにつくられた建物(たてもの)じゃないんだ。三代将軍(みよしょうぐん)の徳川家光(とくがわいえみつ)が松本(まつもと)に立(た)ちよるという話(はなし)があって、そのときの藩主(はんしゅ)がもてなすために建(た)てたものなんだよ。まわりに赤(あか)い手(て)すりがついていて、ここから月(つき)を見(み)るためのつくりになっているんだ。

お堀(ほり)にうつる、さかさまの松本城(まつもとじょう)

松本城(まつもとじょう)のまわりには、たっぷりと水(みず)をたたえたお堀(ほり)があるんだ。風(かぜ)のない日(ひ)には、水面(すいめん)にお城(しろ)がまるごとさかさまにうつって、もうひとつの松本城(まつもとじょう)があらわれるんだよ。ぬりえの二枚目(にまいめ)と三枚目(さんまいめ)には、この映(うつ)り込(こ)みも入(い)れてあるよ。石垣(いしがき)も、屋根(やね)も、水(みず)の中(なか)でゆらゆらしているようすを塗(ぬ)ってみてね。

売(う)られかけたお城(しろ)を、町(まち)の人(ひと)が守(まも)った

明治(めいじ)のはじめ、松本城(まつもとじょう)はこわされて売(う)られてしまいそうになったことがあるんだ。それを止(と)めたのが、市川量造(いちかわりょうぞう)という地元(じもと)の人(ひと)たちだったよ。お金(かね)を集(あつ)めて買(か)いもどして、お城(しろ)を守(まも)ったんだ。そのあと天守(てんしゅ)がかたむいてきたときには、中学校(ちゅうがっこう)の校長(こうちょう)だった小林有也(こばやしうなり)たちが寄付(きふ)を集(あつ)めて、十年(じゅうねん)をかけて大(おお)きな修理(しゅうり)をおこなったんだよ。いま見られる松本城(まつもとじょう)は、こうして町(まち)の人(ひと)たちが守(まも)ってきたお城(しろ)なんだ。

松本城の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

上(うえ)を白(しろ)く残して、下(した)だけを黒(くろ)く塗(ぬ)る

松本城(まつもとじょう)でいちばん大事(だいじ)なのが、この塗(ぬ)り分けだよ。屋根(やね)と屋根(やね)にはさまれた帯(おび)を見(み)ると、まん中(なか)あたりに横線(おうせん)が一本(いちぽん)入っているはずだよ。その線(せん)より上(うえ)は白(しろ)いまま残して、線(せん)より下(した)だけを黒(くろ)っぽく塗(ぬ)るんだ。ぜんぶを黒(くろ)くしてしまうと、松本城(まつもとじょう)らしさが消(き)えてしまうから気(き)をつけてね。

屋根(やね)は黒(くろ)ではなく、青(あお)みのある濃(こ)い灰色(はいいろ)で

屋根(やね)は瓦(かわら)だから、黒(くろ)よりも少(すこ)しうすい、青(あお)みのある灰色(はいいろ)がぴったりだよ。壁(かべ)の黒(くろ)とはっきり分けると、五段(ごだん)に重(かさ)なった屋根(やね)の反(そ)り返(かえ)りがきれいに見えてくるんだ。軒先(のきさき)にならんだ丸(まる)いつぶは瓦(かわら)のはしっこだから、ここは塗らずに白(しろ)く残(のこ)すと、屋根(やね)のふちがくっきりするよ。

右(みぎ)はしの櫓(やぐら)の手(て)すりだけは、朱色(しゅいろ)に

いちばん右(みぎ)にある低(ひく)い建物(たてもの)の手(て)すりは、実物(じつぶつ)では赤(あか)い色(いろ)なんだ。絵(え)のなかでここだけを朱色(しゅいろ)やオレンジがかった赤(あか)で塗(ぬ)ってみて。黒(くろ)と白(しろ)と灰色(はいいろ)ばかりの絵(え)のなかに、赤(あか)がひとつあるだけで、絵(え)ぜんたいがぐっと引(ひ)きしまるんだ。ここが松本城(まつもとじょう)でいちばんの見せどころだよ。

お堀(ほり)は白(しろ)く残して、映(うつ)り込(こ)みはうすい色(いろ)で

手前(てまえ)のお堀(ほり)は、白(しろ)いまま残(のこ)すか、うすい水色(みずいろ)をさっとのせるだけにしよう。濃く塗(ぬ)ると、水(みず)にうつったお城(しろ)が見えなくなってしまうんだ。水(みず)の中(なか)のお城(しろ)は、本物(ほんもの)より一段(いちだん)うすい色(いろ)で塗(ぬ)ると、ゆれている感(かん)じが出(で)るよ。石垣(いしがき)は自然(しぜん)の石(いし)を積(つ)んであるから、となりあう石(いし)で濃さを変(か)えると、ごつごつした感(かん)じになるんだ。

松本城の豆知識(まめちしき)

「烏城(からすじょう)」という呼び名は、じつは正(ただ)しくない

松本城(まつもとじょう)は黒(くろ)いお城(しろ)だから「烏城(からすじょう)」というあだ名(な)がある、と紹介(しょうかい)されることがあるんだ。でも松本市(まつもとし)の教育委員会(きょういくいいんかい)は、この呼び名はまちがいだという見解(けんかい)を出(だ)しているんだよ。昔(むかし)の記録(きろく)に出てくる名前(なまえ)ではなくて、あとから広(ひろ)まってしまったものなんだ。有名(ゆうめい)な話(はなし)でも、調(しら)べてみるとちがっていることがあるんだね。

天守(てんしゅ)がかたむいたのは、のろいのせいじゃない

明治(めいじ)のころ、松本城(まつもとじょう)の天守(てんしゅ)は目(め)に見えてかたむいていたんだ。そのころ「昔(むかし)うったえを起(お)こして罰(ばっ)せられた人(ひと)ののろいだ」という話(はなし)が広(ひろ)まったよ。でもこれは、かたむき始(はじ)めた明治(めいじ)になってから作(つく)られた話(はなし)なんだ。本当(ほんとう)の原因(げんいん)は、天守台(てんしゅだい)の中(なか)にうめこまれていた十六本(じゅうろくぽん)の支(ささ)えの柱(はしら)が古くなり、建物(たてもの)の重(おも)さで沈(しず)んでしまったことだったんだよ。

月見櫓(つきみやぐら)ができたのは、将軍(しょうぐん)が来(く)ると聞(き)いたから

月見櫓(つきみやぐら)が建(た)てられたのには、はっきりした理由(りゆう)があるんだ。三代将軍(みよしょうぐん)の徳川家光(とくがわいえみつ)が善光寺(ぜんこうじ)にお参(まい)りする途中(とちゅう)で松本(まつもと)に立(た)ちよる、という話(はなし)がとどいたんだよ。そこで当時(とうじ)の藩主(はんしゅ)松平直政(なおまさ)が、もてなすためにこの櫓(やぐら)を建(た)てたんだ。ところが家光(いえみつ)の善光寺(ぜんこうじ)参(まい)りは中止(ちゅうし)になって、将軍(しょうぐん)がここで月(つき)を見(み)ることはなかったんだ。