大阪城の塗り絵

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大阪城の特徴(とくちょう)

大阪(おおさか)のまん中(なか)に立(た)つお城(しろ)

大阪城(おおさかじょう)は大阪府大阪市(おおさかふおおさかし)にあるお城(しろ)だよ。ビルにかこまれた大阪城公園(おおさかじょうこうえん)のまん中(なか)に、緑色(みどりいろ)の屋根(やね)の天守(てんしゅ)がそびえ立っているんだ。
外(そと)から見(み)ると屋根(やね)が5つ重(かさ)なった5層(そう)。中(なか)は8階(きざはし)建(だ)てで、いちばん上(うえ)の階(きざはし)からは大阪(おおさか)の街(まち)を見わたせるよ。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)がつくった城(しろ)

はじめに大阪城(おおさかじょう)をつくったのは、豊臣秀吉(とよとみひでよし)だよ。1583年(ねん)から工事(こうじ)が始(はじ)まったんだ。
でも今立っている天守(てんしゅ)は、そのときのものではないんだ。豊臣(とよとみ)の天守(てんしゅ)は1615年(ねん)に焼(や)けてしまい、そのあと徳川(とくがわ)が建(だ)て直(なお)した天守(てんしゅ)も、1665年(ねん)に落雷(らくらい)で焼(や)けてしまった。それから260年以上(ねんいじょう)、大阪城(おおさかじょう)には天守(てんしゅ)がない時代(じだい)が続(つづ)いたんだよ。

市民(しみん)の寄付(きふ)で建(だ)て直された

今(いま)の天守(てんしゅ)が完成(かんせい)したのは1931年(ねん)。おどろくことに、この工事(こうじ)のお金(かね)は大阪(おおさか)の市民(しみん)が出(だ)しあった寄付(きふ)でまかなわれたんだ。
申(もう)しこみが殺到(さっとう)して、およそ半年(はんとし)で目標(もくひょう)の150万円(まんえん)が集(あつ)まったと言(い)われているよ。「もう一度(いちど)お城(しろ)を見たい」という大阪(おおさか)の人(ひと)たちの気持(きも)ちが、天守(てんしゅ)をよみがえらせたんだね。

上(うえ)と下(した)で時代(じだい)がちがう

天守(てんしゅ)をよく見(み)ると、いちばん上(うえ)の階(きざはし)だけ壁(かべ)の色(いろ)がちがうのが分(わ)かるよ。
下(した)の4つの階(きざはし)は徳川時代(とくがわじだい)の白(しろ)い壁(かべ)、いちばん上(うえ)の5層目(そうめ)だけ豊臣時代(とよとみじだい)をまねた黒(くろ)い壁(かべ)になっているんだ。ふたつの時代(じだい)を1つの建物(たてもの)で表(あらわ)している、めずらしいお城(しろ)なんだよ。

金(かね)のとらと屋根(やね)のしゃちほこ

いちばん上(うえ)の階(きざはし)の手(て)すりの下(した)を見てみよう。金色(きんいろ)のとらが横向(よこむ)きにならんでいるよ。屋根(やね)の妻(つま)の飾(かざ)りには鶴(つる)もいるんだ。
屋根(やね)のてっぺんの両(りょう)はしには、しゃちほこが金色(きんいろ)にかがやいているよ。緑(みどり)の屋根(やね)、白(しろ)い壁(かべ)、金(かね)のかざり。この3つの色(いろ)が大阪城(おおさかじょう)の見どころだよ。

今(いま)も残(のこ)る石垣(いしがき)とほり

天守(てんしゅ)は建(だ)て直されたものだけど、石垣(いしがき)とほりは江戸時代(えどじだい)のままなんだ。天守(てんしゅ)の下(した)の石垣(いしがき)を見(み)ると、大(おお)きな石(いし)がすきまなく積(つ)まれているのが分(わ)かるよ。
中(なか)には何十(なんじゅう)トンもある巨大(きょだい)な石(いし)もあるんだ。重機(じゅうき)のない時代(じだい)に、どうやって運(はこ)んだのか考(かんが)えてみるとおもしろいね。
ほりの幅(はば)も広(ひろ)く、いちばん広(ひろ)い東側(ひがしがわ)では90メートルほどもあるよ。天守(てんしゅ)だけでなく、まわりの石垣(いしがき)やほりまでふくめて見(み)ると、大阪城(おおさかじょう)がどれだけ大(おお)きなお城(しろ)だったかが分(わ)かるんだ。

大阪城の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

屋根(やね)は青(あお)みどり

大阪城(おおさかじょう)の屋根(やね)は瓦(かわら)ではなく銅(どう)の板(いた)でできていて、青(あお)みがかった緑色(みどりいろ)をしているよ。銅(どう)は時間(じかん)がたつとこの色(いろ)に変(か)わるんだ。
緑(みどり)1本(ぽん)で塗(ぬ)ると重(おも)くなるので、先(さき)に黄緑(きみどり)をうすく塗(ぬ)ってから、上(うえ)に緑(みどり)を重(かさ)ねると近(ちか)づくよ。屋根(やね)の反(そ)り返(かえ)ったところを明(あか)るく残(のこ)すと、形(かたち)がきれいに出(で)るんだ。

壁(かべ)は白(しろ)いまま残(のこ)す

下(した)の4つの階(きざはし)の壁(かべ)は白(しろ)い漆喰(しっくい)だよ。ここは紙(かみ)の白(しろ)のままにして、かげになる部分(ぶぶん)にだけうすいグレーを入(い)れよう。
いちばん上(うえ)の階(きざはし)だけは黒(くろ)っぽい壁(かべ)なんだ。ここを濃(こ)いグレーやこげ茶で塗(ぬ)ると、上(うえ)と下(した)のちがいがはっきりして本物(ほんもの)らしくなるよ。真っ黒(くろ)にすると金(かね)のかざりが見えなくなるので、少(すこ)し明るめにしておこう。

金(かね)のかざりは黄土色(おうどいろ)から

とら、鶴(つる)、しゃちほこ、破風(はふ)のふちは金色(きんいろ)だよ。黄土色(おうどいろ)をぬってから、片(かた)がわだけに茶色(ちゃいろ)を重(かさ)ねると金属(きんぞく)らしくなるんだ。
とくに大事(だいじ)なのは、いちばん光(ひか)るところを紙(かみ)の白(しろ)のまま残(のこ)すこと。金色(きんいろ)は「明るいところと暗(くら)いところの差(さ)」で表せるんだよ。

窓(まど)は小(ちい)さいので先(さき)をとがらせて

たてに細長(ほそなが)い窓(まど)がたくさんならんでいるね。ここはえんぴつの先(さき)をとがらせてから塗(ぬ)ろう。先(さき)が丸(まる)いままだとはみ出(だ)してしまうよ。
窓(まど)の中(なか)は濃(こ)いグレーかこげ茶にしよう。白(しろ)い壁(かべ)とのコントラストが出て、絵(え)がしまるんだ。

石垣(いしがき)と木(き)はおくほどうすく

石垣(いしがき)は灰色(はいいろ)に少(すこ)しだけ茶色(ちゃいろ)を重(かさ)ねると石(いし)らしくなるよ。全部(ぜんぶ)を同(おな)じ色(いろ)にせず、いくつかだけ濃くすると自然(しぜん)に見えるんだ。
木(き)は手前(てまえ)を濃(こ)い緑(みどり)、おくをうすい黄緑(きみどり)に。手前(てまえ)を濃く、おくをうすく。それだけでおくゆきが出(で)るよ。

大阪城の豆知識(まめちしき)

半年(はんとし)で集(あつ)まった寄付(きふ)

1931年(ねん)に天守(てんしゅ)を建(だ)て直すお金(かね)は、大阪(おおさか)の市民(しみん)が出(だ)しあった寄付(きふ)だったんだ。目標(もくひょう)は150万円(まんえん)。当時(とうじ)としては大変(たいへん)な金額(きんがく)だったよ。
ところが申(もう)しこみが殺到(さっとう)して、およそ半年(はんとし)で集(あつ)まってしまったんだ。それだけ多(おお)くの人(ひと)が、大阪(おおさか)にお城(しろ)がもどってくるのを待(ま)っていたんだね。

お城(しろ)なのに鉄筋(てっきん)コンクリート

今(いま)の天守(てんしゅ)は木(き)ではなく、鉄骨鉄筋(てっこつてっきん)コンクリートでつくられているんだ。だから火事(かじ)にも地震(じしん)にも強(つよ)い。エレベーターまで付(つ)いているよ。
昔(むかし)のすがたを外(そと)から再現(さいげん)しながら、中(なか)は現代(げんだい)の建物(たてもの)になっているんだ。1931年(ねん)の天守(てんしゅ)は、いま国(くに)の登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)になっているよ。建(だ)て直されたものが文化財(ぶんかざい)になるのは、めずらしいことなんだ。

落雷(らくらい)で消(き)えた天守(てんしゅ)

徳川時代(とくがわじだい)の天守(てんしゅ)は、1665年(ねん)の正月(しょうがつ)に落雷(らくらい)で焼(や)けてしまったんだ。雷(かみなり)が落(お)ちたのは、屋根(やね)の北(きた)がわのしゃちほこだったと伝(つた)えられているよ。
それから天守(てんしゅ)のない時代(じだい)が260年以上(ねんいじょう)も続(つづ)いた。江戸時代(えどじだい)の大阪(おおさか)の人(ひと)たちは、天守(てんしゅ)のない大阪城(おおさかじょう)を見て暮(く)らしていたことになるね。

石垣(いしがき)の巨大(きょだい)な石(いし)

天守(てんしゅ)の下(した)に広がる石垣(いしがき)は、江戸時代(えどじだい)に積(つ)まれたものがそのまま残っているよ。中(なか)には何十(なんじゅう)トンもある巨大(きょだい)な石(いし)も使(つか)われているんだ。
重機(じゅうき)のない時代(じだい)に、船(ふね)で運び、ころを使って引(ひ)っぱり上(あ)げたと考(かんが)えられているんだ。お城(しろ)でいちばん古(ふる)いのは、じつは石垣(いしがき)なんだよ。