銀閣寺の塗り絵
銀閣寺の特徴
銀色じゃないのに「銀閣寺」
京都市左京区にある銀閣寺は、名前を聞くと銀色にかがやく建物を想像するよね。でも、じっさいに行ってみると、そこに立っているのはこげ茶色の木の建物なんだ。金閣寺が金色にかがやいているのとは、まるでちがうんだよ。じつはこの建物には、はじめから銀ははられていなかったんだ。銀色じゃないのに銀閣寺、というのがこのお寺のいちばんのふしぎなんだね。
本当の名前は「慈照寺」。建てたのは足利義政
銀閣寺というのはあだ名のようなもので、正式な名前は東山慈照寺というんだ。建てたのは、室町幕府の八代将軍足利義政だよ。義政は政治よりも、絵や庭や茶の湯といった美しいものが大好きな人だったんだ。文明十四年、いまの京都の東山のふもとに山荘をつくりはじめて、そこで自分の好きなものだけにかこまれて暮らしたんだよ。義政がのこしたこの時代の文化を、まとめて東山文化と呼んでいるんだ。
屋根の上に立つ、一羽の鳳凰
ぬりえのてっぺんをよく見てみて。小さな鳥が一羽、こちらを向いて立っているのが分かるかな。これは鳳凰という空想の鳥の像で、銅でできているんだ。屋根は板を何枚も重ねてふいた杮葺という作りで、瓦は一枚も使われていないよ。だから屋根の面がすべすべしていて、やわらかい曲線をえがいているんだね。
下は住まい、上はお堂。一階と二階でつくりがちがう
この建物は二階建てなんだけれど、じつは一階と二階でつくりがまったくちがうんだ。一階は心空殿といって、障子がならんだふつうの住まいのような作りだよ。二階は潮音閣といって、こちらはお寺のお堂の作りになっているんだ。二階の正面にならんでいる、上がとがった釣り鐘のような形の窓は花頭窓というよ。この窓は禅のお寺でよく使われる形なんだ。
白い砂の山「向月台」と、波もようの「銀沙灘」
銀閣のすぐそばには、白い砂を富士山のような形にもりあげた向月台と、すじの入った砂の広がりである銀沙灘があるんだ。どちらも砂でできていて、雨がふってもくずれないように、お寺の人がていねいに手入れをしているよ。この形になったのは江戸時代の後ろのほうだと言われていて、義政が生きていたころにはまだなかったんだね。
世界遺産にもなっている
銀閣寺は1994年に「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産に登録されたんだ。建物のうち銀閣(観音殿)と東求堂の二棟が国宝になっているよ。まわりは苔におおわれた庭と、錦鏡池という池になっていて、水面に銀閣がうつるようすがとてもきれいなんだ。京都に行くことがあったら、ぜひ本物を見てみてね。
銀閣寺の色を塗るコツ
木の部分は、こげ茶か黒に近い茶色で
名前は銀閣だけれど、銀色や灰色で塗らなくていいんだ。柱や壁の板は長い年月で黒っぽくなっているから、こげ茶色や、茶色に少しだけ黒を重ねた色がぴったりだよ。とくに二階は一階より黒っぽいから、二階を濃く、一階をうすく塗り分けると、写真で見たときの感じにぐっと近づくんだ。
屋根は瓦じゃないから、青みの灰色にしない
お寺の屋根というと青みのある灰色を思いうかべるけれど、銀閣の屋根は板を重ねてふいた屋根なんだ。だから茶色っぽい灰色や、うすい茶色で塗るほうが本物に近くなるよ。屋根はいちばん面積が広いところだから、力を入れずに、うすくむらなくぬっていくときれいに仕上がるんだ。
花頭窓の中は、白いまま残す
二階の正面にならんでいる、上がとがった形の窓の中は障子なんだ。ここは塗らずに白いまま残すのがいちばんきれいだよ。まわりの木のところをこげ茶で濃く塗ると、白い窓がうかびあがって、遠くから見てもはっとする絵になるんだ。一階の障子も同じで、白いまま残して、下のほうの腰板だけを茶色で塗るといいよ。
池は塗らないか、うすい水色で
背景ありの絵の手前にある池は、白いまま残すか、うすい水色をさっとのせるだけにしよう。濃く塗ってしまうと、水にうつった銀閣の形が見えなくなってしまうんだ。水にうつっている部分は、建物より少しうすい色で塗ると、ゆらゆらしている感じが出るよ。石は灰色に少し茶色を混ぜて、一つずつ濃さを変えると本物らしくなるんだ。
銀閣寺の豆知識
銀ははじめから、はられていなかった
「もともとは銀がはってあったけれど、はがれてしまったんだ」という話を聞いたことがあるかもしれないね。でもこれはちがうんだ。2007年におこなわれた科学的な調査で、建てられたときから銀ははられていなかったことがはっきり分かったんだよ。銀のあとが少しも見つからなかったんだ。
「銀閣寺」と呼ばれ始めたのは江戸時代
義政が生きていたころ、この建物は銀閣とは呼ばれていなかったんだ。銀閣寺という名前が使われだしたのは江戸時代のことで、万治元年に出た『洛陽名所集』という本にその名前が出てくるよ。金閣とならべて呼ぶうちに、いつのまにか広まっていったんだね。
四畳半のはじまりは、このお寺にある
銀閣のとなりに建つ東求堂の中には、同仁斎という四畳半の部屋があるんだ。義政が本を読んだり書きものをしたりするための部屋だったよ。ここには、床の間のもとになる飾りだなや机がそなえつけられていて、いまの和室のかたちのおおもとになったと言われているんだ。ふだん見なれた四畳半の部屋のはじまりが、五百年以上前のこのお寺にあるなんて、おどろきだね。
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銀閣寺
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銀閣寺 大人の塗り絵
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