熊本城の塗り絵

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熊本城の特徴(とくちょう)

まっ黒(くろ)でかっこいい、日本三名城(にっぽんさんめいじょう)のひとつ

熊本県熊本市(くまもとけんくまもとし)にある熊本城(くまもとじょう)は、姫路城(ひめじじょう)のまっ白(しろ)なすがたとは正反対(せいはんたい)で、黒(くろ)い板(いた)がはられたかっこいいお城(しろ)なんだ。姫路城(ひめじじょう)、名古屋城(なごやじょう)とならんで日本三名城(にっぽんさんめいじょう)のひとつに数(かぞ)えられているよ。建(た)てたのは加藤清正(かとうきよまさ)という武将(ぶしょう)で、慶長十二年(けいちょうじゅうにねん)、いまから四百年以上前(よんひゃくねんいじょうまえ)にできあがったんだ。このときに、町(まち)の名前(なまえ)も「隈本(くまもと)」から「熊本(くまもと)」に改(あらた)められたんだよ。

だれものぼれない石垣(いしがき)「武者(むしゃ)返(かえ)し」

熊本城(くまもとじょう)でいちばん有名(ゆうめい)なのが、この石垣(いしがき)なんだ。下(した)のほうはゆるやかな坂(さか)なのに、上(うえ)にいくほど立(た)ち上(あ)がって、いちばん上(うえ)ではほとんど垂直(すいちょく)になっているんだよ。だから、のぼろうとして途中(とちゅう)まで来(き)ても、そこから先(さき)へは手(て)も足(あし)もかからないんだ。敵(てき)の武者(むしゃ)をはね返すという意味(いみ)で「武者(むしゃ)返(かえ)し」と呼(よ)ばれているよ。ぬりえの石垣(いしがき)の形(かたち)をよく見(み)ると、下(した)がふくらんで上(うえ)でそり返っているのが分(わ)かるはずだよ。

大天守(だいてんまもる)と小天守(こてんまもる)、二(ふた)つならんだ天守(てんしゅ)

熊本城(くまもとじょう)の天守(てんしゅ)はひとつではなくて二(ふた)つあるんだ。左(ひだり)の大(おお)きいほうが大天守(だいてんまもる)、右(みぎ)の小(ちい)さいほうが小天守(こてんまもる)だよ。二(ふた)つは低(ひく)い屋根(やね)の建物(たてもの)でつながっていて、離(はな)れて建っているわけじゃないんだ。大天守(だいてんまもる)は外(そと)から見(み)ると屋根(やね)が三重(さんじゅう)に重(かさ)なって見えるけれど、中(なか)は六階(ろくかい)と地下一階(ちかいちかい)まであるんだよ。

屋根(やね)の下(した)の白(しろ)い箱(ばこ)は「石落(いしお)とし」

いちばん下(した)の屋根(やね)のすぐ下(した)に、四角(しかく)い箱(ばこ)のような出(で)っぱりが横一列(よこかずなみ)に並(なら)んでいるのが見えるかな。これは石落(いしお)としといって、床(ゆか)に穴(あな)があいているしかけなんだ。石垣(いしがき)をのぼってきた敵(てき)に、上(うえ)から石(いし)を落(お)としたり、ようすをのぞいたりするために作(つく)られたんだよ。かざりではなくて、ちゃんと戦(たたか)うための工夫(くふう)なんだね。

「銀杏城(ぎんなんじょう)」というもうひとつの名前(なまえ)

熊本城(くまもとじょう)には銀杏城(ぎんなんじょう)というもうひとつの名前(なまえ)があるんだ。天守閣(てんしゅかく)の前(まえ)の広場(ひろば)に大(おお)きなイチョウの木(き)が立っていて、それがこの名前(なまえ)のもとになったんだよ。秋(あき)になると葉(は)っぱが黄色(きいろ)くなって、黒(くろ)いお城(しろ)とならんだところがとてもきれいなんだ。

地震(じしん)からよみがえった天守閣(てんしゅかく)

2016年(ねん)におきた熊本地震(くまもとじしん)で、熊本城(くまもとじょう)は石垣(いしがき)がくずれるなど、とても大(おお)きな被害(ひがい)を受(う)けたんだ。そこから少(すこ)しずつ直(なお)す工事(こうじ)が進(すす)められて、2021年(ねん)3月(がつ)に天守閣(てんしゅかく)の復旧(ふっきゅう)が終(お)わったんだよ。いまも櫓(やぐら)など、ほかのところの工事(こうじ)は続(つづ)いているんだ。長(なが)い時間(じかん)をかけてよみがえっていくお城(しろ)の姿(すがた)は、熊本(くまもと)の人(ひと)たちにとって特別(とくべつ)なものなんだね。

熊本城の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

屋根(やね)と屋根(やね)のあいだは、上(うえ)を白(しろ)く、下(した)を黒(くろ)っぽく

熊本城(くまもとじょう)の壁(かべ)は、上(うえ)のほうが白(しろ)いしっくい、下(した)のほうが黒(くろ)い板(いた)という二段(にだん)になっているんだ。だから屋根(やね)と屋根(やね)にはさまれた帯(おび)を塗(ぬ)るときは、上半分(うえはんぶん)を白(しろ)いまま残(のこ)して、下半分(もとはんぶん)だけを黒(くろ)っぽく塗(ぬ)ると、ぐっと本物(ほんもの)らしくなるよ。ぜんぶを黒(くろ)く塗(ぬ)ってしまうと、ただの黒(くろ)い箱(ばこ)に見えてしまうんだ。

屋根(やね)は黒(くろ)ではなく、青(あお)みのある濃(こ)い灰色(はいいろ)で

屋根(やね)は瓦(かわら)だから、黒(くろ)よりも少(すこ)しうすい、青(あお)みのある灰色(はいいろ)がぴったりだよ。まっ黒(くろ)にしてしまうと、壁(かべ)の黒(くろ)と同(おな)じになって形(かたち)が分からなくなってしまうんだ。屋根(やね)を灰色(はいいろ)、壁(かべ)の下半分(もとはんぶん)を黒(くろ)と分けると、屋根(やね)の反(そ)り返った線(せん)がきれいに見えてくるよ。軒先(のきさき)にならんだ丸(まる)いつぶは瓦(かわら)のはしっこだから、ここは塗らずに白(しろ)く残(のこ)すといいんだ。

石垣(いしがき)は灰色(はいいろ)に茶色(ちゃいろ)をすこし。一(ひと)つずつ濃さを変(か)える

石垣(いしがき)は灰色(はいいろ)に少(すこ)しだけ茶色(ちゃいろ)を混(ま)ぜた色(いろ)で塗(ぬ)ろう。ぜんぶ同(おな)じ濃さにすると平(たい)らに見えてしまうから、となりあう石(いし)で濃さを変(か)えるのがコツだよ。全部(ぜんぶ)をていねいに塗らなくても、何個(なんこ)かおきに濃(こ)い石(いし)をまぜるだけで、ごつごつした感(かん)じが出るんだ。石(いし)と石(いし)のあいだの線(せん)は塗らずに残(のこ)しておこう。

白(しろ)い部分(ぶぶん)は思(おも)いきって塗らない

石落(いしお)としの箱(ばこ)、破風(はふ)のふちの白(しろ)い縁取(ふちど)り、屋根(やね)のすぐ下(した)の白(しろ)い帯(おび)は、塗らずに白(しろ)いまま残(のこ)すのがいちばんきれいだよ。黒(くろ)っぽい色(いろ)が多(おお)い絵(え)だから、白(しろ)いところをしっかり残(のこ)すほど形(かたち)がはっきりしてくるんだ。塗(ぬ)るところと塗らないところを決(き)めてから色(いろ)えんぴつを持(も)つと、うまくいくよ。

熊本城の豆知識(まめちしき)

壁(かべ)にかんぴょう、畳(たたみ)に芋(いも)の茎(くき)?

「熊本城(くまもとじょう)の土壁(つちかべ)にはかんぴょうがぬりこめられていて、畳(たたみ)の中(なか)には里芋(さといも)の茎(くき)が入(はい)っている」という話(はなし)が伝(つた)わっているんだ。城(しろ)にとじこめられて食(た)べものがなくなったときに、壁(かべ)や畳(たたみ)を食(た)べてしのぐためだったと言(い)われているよ。ただし、本当(ほんとう)にそうだったという証拠(しょうこ)は、いまのところ見つかっていないんだ。おもしろい言い伝えとして知(し)られているんだね。

城(しろ)の中(なか)に、井戸(いど)が百二十(ひゃくにじゅう)

加藤清正(かとうきよまさ)は、城(しろ)の中(なか)に百二十(ひゃくにじゅう)あまりの井戸(いど)を掘(ほ)ったと伝えられているんだ。清正(きよまさ)は昔(むかし)、外国(がいこく)での戦いで城(しろ)にとじこめられ、水(みず)がなくてとても苦(くる)しんだ経験(けいけん)があったんだよ。その苦(にが)い思(おも)いから、熊本城(くまもとじょう)では水(みず)にだけは困(こま)らないようにと考(かんが)えたんだね。井戸(いど)のいくつかは、いまも城(しろ)の中(なか)に残っているよ。

いまの天守(てんしゅ)は、二度目(にどめ)の天守(てんしゅ)

いま見(み)ることのできる天守(てんしゅ)は、加藤清正(かとうきよまさ)が建(た)てたそのものではないんだ。明治十年(めいじじゅうねん)、西南戦争(せいなんせんそう)という戦いが始(はじ)まる直前(ちょくぜん)におきた火事(かじ)で、大天守(だいてんまもる)も小天守(こてんまもる)も焼(や)けてしまったんだよ。いまの天守(てんしゅ)は昭和三十五年(しょうわさんじゅうごねん)に鉄筋(てっきん)コンクリートで建(た)て直されたものなんだ。外(そと)から見える形(かたち)は昔(むかし)のままに、中(なか)は資料館(しりょうかん)になっているんだよ。