首里城の塗り絵

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首里城の特徴(とくちょう)

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)の、王(おう)さまのお城(しろ)

沖縄県那覇市(おきなわけんなはし)にある首里城(しゅりじょう)は、むかし沖縄(おきなわ)にあった琉球王国(りゅうきゅうおうこく)という国(くに)の、王(おう)さまのお城(しろ)なんだ。四百年以上(よんひゃくねんいじょう)のあいだ、政治(せいじ)の中心(ちゅうしん)であり、外国(がいこく)からのお客(きゃく)さんをもてなす場所(ばしょ)でもあったんだよ。まん中(なか)に立(た)ついちばん大(おお)きな建物(たてもの)を正殿(せいでん)といって、琉球王国(りゅうきゅうおうこく)でいちばん大(おお)きな木造建築(もくぞうけんちく)だったんだ。百浦添御殿(ひゃくうらそえごてん)という、うつくしい別(べつ)の名前(なまえ)も持(も)っているよ。

この塗(ぬ)り絵(え)は、燃(も)える前(まえ)のすがた

首里城(しゅりじょう)の正殿(せいでん)は、2019年(ねん)10月(がつ)31日(か)の未明(みめい)におきた火事(かじ)で焼(や)けてしまったんだ。この塗(ぬ)り絵(え)は、その火事(かじ)より前(まえ)に撮(と)られた写真(しゃしん)をもとにして描(えが)いたものだよ。つまり、いま現地(げんち)へ行(い)っても見(み)ることのできない、あのころの正殿(せいでん)のすがたなんだ。じっくり塗(ぬ)りながら、どんな建物(たてもの)だったのかを見てみてね。

屋根(やね)の龍(りゅう)は3つ。名前(なまえ)は「龍頭棟飾(よんどうむねしょく)」

正殿(せいでん)の屋根(やね)には、龍(りゅう)の頭(とう)の飾(かざ)りが3つのっているんだ。これを龍頭棟飾(よんどうむねしょく)というよ。ひとつはまん中(なか)の反(そ)り返(かえ)った屋根(やね)のてっぺんで、こちらは正面(しょうめん)を向(む)いて大(おお)きく口(くち)を開(あ)けているんだ。あとのふたつは屋根(やね)の左右(さゆう)のはしにいて、横(よこ)を向(む)いているよ。どれも大(おお)きさが3メートルもあって、正殿(せいでん)の守り神とされているんだ。1682年(ねん)の修理(しゅうり)のときに、平田典通(ひらたてんつう)という人(ひと)が焼き物(もの)で作(つく)ったという記録(きろく)が残(のこ)っているよ。

破風(はふ)のまん中(なか)には、炎(ほのお)につつまれた玉(たま)

屋根(やね)の下(した)の反(そ)り返(かえ)った部分(ぶぶん)を唐破風(からはふ)というんだ。その中(なか)の彫刻(ちょうこく)をよく見てみて。まん中(なか)にあるのは火炎宝珠(かえんほうしゅ)といって、炎(ほのお)につつまれた金色(きんいろ)の玉(たま)だよ。その左右(さゆう)には大(おお)きな雲(くも)の形(かたち)が広(ひろ)がり、さらに外側(そとがわ)には金色(きんいろ)の龍(りゅう)が1頭(とう)ずつ、向かい合(あ)うように置(お)かれているんだ。この彫刻(ちょうこく)ひとつだけでも、塗(ぬ)りごたえがあるよ。

柱(はしら)にも龍(りゅう)、壁(かべ)には獅子(しし)

龍(りゅう)がいるのは屋根(やね)だけじゃないんだ。正面(しょうめん)の太(ふと)い柱(はしら)2本(ぽん)には、龍(りゅう)が巻(ま)きついているよ。そして、その外側(そとがわ)の白(しろ)い壁板(かべいた)には、金色(きんいろ)の獅子(しし)の彫刻(ちょうこく)が左右(さゆう)に1つずつあるんだ。沖縄(おきなわ)でおなじみのシーサーのなかまで、四本足(よんぽんあし)で横(よこ)を向(む)いた姿(すがた)をしているよ。龍(りゅう)は王(おう)さまをあらわすしるしだったから、これだけたくさん置(お)かれているんだね。

日本(にっぽん)にも中国(ちゅうごく)にもない、琉球(りゅうきゅう)だけの形(かたち)

正殿(せいでん)は二層三階(にそうさんかい)建(だ)てという、めずらしいつくりなんだ。外(そと)から見(み)ると屋根(やね)が二段(にだん)だけれど、中(なか)は三階(さんかい)まであるんだよ。この形(かたち)と、飾(かざ)りをほどこした龍(りゅう)の柱(はしら)の組み合わせは、日本(にっぽん)にも中国(ちゅうごく)にも同(おな)じ例(れい)がないと言(い)われているんだ。中国(ちゅうごく)の影響(えいきょう)も日本(にっぽん)の影響(えいきょう)も受(う)けながら、琉球(りゅうきゅう)の人(ひと)たちが自分(じぶん)たちの形(かたち)をつくり上(あ)げたんだね。

世界遺産(せかいいさん)になっているのは、建物(たてもの)ではない

首里城(しゅりじょう)は世界遺産(せかいいさん)だと言(い)われるけれど、少(すこ)しだけ注意(ちゅうい)が必要(ひつよう)なんだ。2000年(ねん)に「琉球王国(りゅうきゅうおうこく)のグスク及(およ)び関連遺産群(かんれんいさんぐん)」として登録(とうろく)されたのは首里城跡(しゅりじょうあと)、つまり地面(じめん)に残る昔(むかし)の遺構(いこう)のほうなんだよ。復元(ふくげん)された建物(たてもの)や城壁(じょうへき)は、世界遺産(せかいいさん)にはふくまれていないんだ。だから2019年(ねん)の火事(かじ)でも、世界遺産(せかいいさん)そのものが失(うしな)われたわけではなかったんだよ。

2026年(ねん)11月(がつ)、新(あたら)しい正殿(せいでん)が公開(こうかい)される

焼(や)けてしまった正殿(せいでん)は、いま建(だ)て直(なお)しの工事(こうじ)が進(すす)んでいるんだ。2026年(ねん)11月(がつ)22日(か)に完成式(かんせいしき)がおこなわれ、11月(がつ)23日(か)から中(なか)に入(い)れるようになる予定(よてい)だよ。屋根(やね)の上(うえ)の龍(りゅう)も、朱色(しゅいろ)の柱(はしら)も、また見られるようになるんだ。この塗(ぬ)り絵(え)で燃(も)える前(まえ)のすがたを塗(ぬ)って、新(あたら)しい正殿(せいでん)と見くらべてみるのもおもしろいね。

首里城の色(いろ)を塗(ぬ)るコツ

建物(たてもの)は朱色(しゅいろ)。日本(にっぽん)のお城(しろ)とはまったくちがう

首里城(しゅりじょう)でいちばん大事(だいじ)なのは朱色(しゅいろ)だよ。柱(はしら)も壁(かべ)も、あざやかなオレンジがかった赤(あか)なんだ。姫路城(ひめじじょう)の白(しろ)や、熊本城(くまもとじょう)の黒(くろ)とはまったくちがう色使(いろづか)いだよね。まっ赤(あか)ではなく、少(すこ)しオレンジを混(ま)ぜた赤(あか)にすると本物(ほんもの)に近(ちか)づくんだ。広(ひろ)い面(めん)は力(ちから)を入(い)れずにうすく重(かさ)ねていくと、むらなくきれいに塗(まみ)れるよ。

屋根(やね)は赤瓦(あかがわら)。白(しろ)い線(せん)を残(のこ)すのがコツ

屋根(やね)は琉球赤瓦(りゅうきゅうあかがわら)という、赤茶色(あかちゃいろ)の瓦(かわら)なんだ。本物(ほんもの)の屋根(やね)は、瓦(かわら)と瓦(かわら)のあいだに白(しろ)い漆喰(しっくい)がぬられていて、赤(あか)と白(しろ)のしま模様(もよう)のように見えるんだよ。だから瓦(かわら)の列(れつ)を赤茶(あかちゃ)で塗(ぬ)って、あいだの線(せん)は白(しろ)いまま残(のこ)すと、ぐっと沖縄(おきなわ)らしくなるんだ。ぜんぶ塗(ぬ)りつぶさないのがコツだよ。

屋根(やね)の龍(りゅう)は青緑(あおみどり)と金(かね)。宝珠(ほうしゅ)と獅子(しし)は金色(きんいろ)に

屋根(やね)の3つの龍(りゅう)の頭(とう)は、実物(じつぶつ)では顔(かお)が金色(きんいろ)っぽく、うろこやたてがみが青緑(あおみどり)なんだ。朱色(しゅいろ)の建物(たてもの)のなかで、ここだけ青緑(あおみどり)と金(かね)にすると龍(りゅう)がぐっと目立(めだ)つよ。破風(はふ)のまん中(なか)の火炎宝珠(かえんほうしゅ)は、玉(たま)を金色(きんいろ)、まわりの炎(ほのお)を赤(あか)で塗(ぬ)ってみてね。左右(さゆう)の金(かね)の龍(りゅう)と、白(しろ)い壁板(かべいた)の獅子(しし)も金色(きんいろ)だよ。金色(きんいろ)は黄色(きいろ)に少(すこ)しだけ茶色(ちゃいろ)を重(かさ)ねると金属(きんぞく)らしくなるんだ。ぜんぶを金(かね)にせず、ここぞという場所(ばしょ)だけに使(つか)うのがきれいだよ。

階段(かいだん)の石(いし)の龍(りゅう)は、灰色(はいいろ)のままで

階段(かいだん)の左右(さゆう)に立(た)つ大(おお)きな石(いし)の龍(りゅう)は、色(いろ)のついた彫刻(ちょうこく)とちがって灰色(はいいろ)の石(いし)なんだ。朱色(しゅいろ)や金(かね)でにぎやかな建物(たてもの)のなかで、ここだけ灰色(はいいろ)にすると、石(いし)の重(おも)たい感(かん)じが出(で)てぐっと引(ひ)きしまるよ。うろこの一枚一枚(いちまいいちまい)を、となりと少(すこ)しずつ濃(こ)さを変(か)えて塗(ぬ)ると、でこぼこして見えるんだ。

御庭(みにわ)のしま模様(もよう)は、赤(あか)と白(しろ)を交互(こうご)に

二枚目(にまいめ)と三枚目(さんまいめ)の手前(てまえ)に広がる広場(ひろば)は御庭(みにわ)といって、赤茶色(あかちゃいろ)と白(しろ)の帯(おび)が交互(こうご)にならんだ敷石(しきいし)になっているんだ。一本(いちぽん)おきに塗(ぬ)って、あいだは白(しろ)いまま残(のこ)すと、そのまま本物(ほんもの)の模様(もよう)になるよ。まん中(なか)をまっすぐ通(とお)る幅(はば)の広(ひろ)い道(みち)は浮道(うきみち)といって、王(おう)さまだけが通(とお)る道(みち)だったんだ。ここは帯(おび)を入(い)れずに、赤一色(あかいっしょく)で塗(ぬ)ってみてね。

首里城の豆知識(まめちしき)

首里城(しゅりじょう)は、五回(ごかい)も焼(や)けている

じつは首里城(しゅりじょう)が焼(や)けたのは、2019年(ねん)がはじめてではないんだ。2019年(ねん)の火災(かさい)は、五度目(ごどめ)の焼失(しょうしつ)だったんだよ。江戸時代(えどじだい)にも1660年(ねん)と1709年(ねん)の二度(にど)、火事(かじ)で焼(や)けているんだ。そして1945年(ねん)、太平洋戦争(たいへいようせんそう)の沖縄戦(おきなわせん)では、アメリカ軍(ぐん)の砲撃(ほうげき)を受(う)けて焼(や)けてしまったんだ。そのたびに人(ひと)びとは、また建(だ)て直(なお)してきたんだよ。

いま見られる正殿(せいでん)は、何代目(なんだいめ)だろう

火事(かじ)のたびに建(だ)て直されてきたから、正殿(せいでん)には何代(なんだい)もの「代(だい)」があるんだ。焼(や)ける前(まえ)まで建っていた正殿(せいでん)は、1992年(ねん)に復元(ふくげん)されたものだったよ。そのお手本(てほん)になったのは、1712年(ねん)に建(だ)てられた正殿(せいでん)のすがたなんだ。古(ふる)い記録(きろく)や写真(しゃしん)、それに沖縄戦(おきなわせん)の前(まえ)に測(はか)られた図面(ずめん)をたよりに、時間(じかん)をかけて復元(ふくげん)されたんだよ。

階段(かいだん)の龍(りゅう)は、なぜ向かい合っているのか

階段(かいだん)の左右(さゆう)に立(た)つ石(いし)の龍(りゅう)の柱(はしら)を大龍柱(たいりゅうはしら)というんだ。焼(や)ける前(まえ)の正殿(せいでん)では、この2本(ぽん)がたがいに向かい合(あ)う形(かたち)で立っていたよ。1992年(ねん)の復元(ふくげん)のとき、王府(おうふ)に伝(つた)わる古(ふる)い記録(きろく)に向かい合(あ)う姿(すがた)で描かれていたことを重く見て、この向きに決(き)められたんだ。ところが1877年(ねん)にフランス海軍(かいぐん)が撮った写真(しゃしん)には正面(しょうめん)を向(む)いた大龍柱(たいりゅうはしら)が写(うつ)っていて、「正面向きが正(ただ)しいのでは」という意見(いけん)もあるんだよ。いまも答(こた)えの出(で)ていない、大(おお)きな議論(ぎろん)なんだ。