東寺の金堂の塗り絵
東寺の金堂の特徴
東寺の中心になるお堂
京都市にある東寺の金堂は、東寺の本堂にあたる建物なんだ。東寺にはたくさんの建物があるけれど、そのなかでもいちばん中心になるお堂だよ。すぐ近くには日本一高い五重塔が立っていて、二つならんだ姿が東寺のいちばんの見どころなんだ。金堂は国宝に指定されているよ。
屋根が二段に重なって見える
正面から見ると、屋根が上下二段に重なっているのが分かるかな。じつはこれ、二階建てというわけではないんだ。上の大きな屋根が本当の屋根で、その下をぐるりとめぐる低い屋根は、雨や日ざしをよけるためにあとから付けられたひさしのような屋根なんだよ。だから中に入ると、二階はなくて大きな一つの空間になっているんだ。
まん中だけが、前へせり出している
下の低い屋根をよく見ると、まん中だけが四角く前へせり出して、一段高くなっているのが分かるよね。これがこの建物のいちばんの特徴なんだ。ここが出っぱっていることで、正面から見たときに真ん中がぐっと引き立って見えるんだ。せり出した下には、木でできた四角い戸と、左右対称の山の形をした木の飾りがついているよ。
白い壁の前にならぶ、木の組み木
上下の屋根のあいだは白い漆喰の壁になっていて、その前に四角い木を組み上げた飾りが横一列にずらりと並んでいるんだ。これは組み木といって、大きく張り出した屋根の重さを支えるための木なんだよ。上下二段に重なっていて、飾りであると同時にちゃんと役目を持っているんだ。
正面はしっかり七つに区切られている
いちばん下の階の正面は、柱で七つに区切られているよ。まん中の一つが大きな両開きの扉で、丸い金具がずらりと打たれているんだ。その左右には、細い縦の格子の窓と板の戸が交互にならんでいるよ。塗り絵でも、この並び方をそのまま描いてあるから、数えてみてね。
関ヶ原の合戦のあとに建てられた
いまの金堂は慶長8年にできあがったものなんだ。ちょうど関ヶ原の合戦のあとの時代で、桃山時代を代表する建物のひとつに数えられているよ。中国の宋から伝わった様式と、日本にもとからあった様式を組み合わせて建てられているんだ。堂々とした大きな屋根は、この時代らしい力強さなんだね。
東寺の金堂の色を塗るコツ
柱と戸は、こげ茶色でぬる
この建物は木でできているから、柱も戸もこげ茶色だよ。長い年月で黒っぽくなっているので、茶色に少しだけ黒を重ねるといい感じになるんだ。格子の窓の中は、少しうすい茶色にすると、板の戸と描き分けられて、正面のならびがくっきりしてくるよ。
屋根と屋根のあいだの壁は、白いまま残す
上下の屋根にはさまれた壁は白い漆喰なんだ。ここは塗らずに白いまま残すのがいちばんきれいだよ。前にならんだ組み木をこげ茶色で塗ると、うしろの白い壁とのちがいで、組み木の形がぱっと浮かび上がってくるんだ。ここが塗り分けのいちばんの見せどころだよ。
屋根は青みのある濃い灰色に
屋根は瓦だから、青みのある濃い灰色がぴったりだよ。まっ黒にすると柱の色と同じになって、二段に重なった形が分からなくなってしまうんだ。屋根を灰色、柱をこげ茶と分けると、屋根の反り上がった線がきれいに見えてくるよ。軒先にならんだ丸いつぶは、塗らずに白く残すとふちが引きしまるんだ。
石の台と階段は、うすい灰色で
建物の下の台と階段は石だから、うすい灰色にしよう。木のこげ茶色と分けることで、建物が地面からしっかり持ち上がって見えるんだ。石は一つずつとなりと少し濃さを変えると、ごつごつした感じが出るよ。手前の砂利の広場は、白いまま残すか、ごくうすい色をのせるだけにしておこう。
東寺の金堂の豆知識
中にいるのは、薬壺を持たない薬師さま
金堂の中には薬師三尊という三体の仏さまがいるんだ。まん中が薬師如来、右が日光菩薩、左が月光菩薩だよ。ふつう薬師如来は、手に薬の入ったつぼを持っている姿で作られるんだけれど、東寺の薬師如来はつぼを持っていない古い様式なんだ。うしろの光にも七体の小さな仏さまが配されていて、七仏薬師如来と呼ばれているよ。
台座をぐるりと囲む十二神将
薬師如来がすわっている台座を見ると、そのまわりに十二体の武将のような像がぐるりと立っているんだ。これを十二神将というよ。薬師如来を守り、その願いをかなえるはたらきをする仏さまたちなんだ。十二という数は、十二支や一日の十二の時間とも結びつけて考えられているんだよ。
一度は焼けてなくなっていた
金堂はいまの姿になるまでに、一度なくなっているんだ。文明18年におきた土一揆という争いにまきこまれて、焼けてしまったんだよ。そこから建て直されるまでには、じつに百年以上かかっているんだ。長いあいだ、東寺には本堂のない時代が続いていたんだね。いま立っている金堂は、そうしてようやくよみがえった建物なんだ。
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東寺の金堂
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東寺の金堂 境内
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東寺の金堂 大人の塗り絵
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