軍艦島(端島)の塗り絵
軍艦島(端島)の特徴
軍艦のような形の島
軍艦島は、長崎県の長崎港から船で40分ほどの海にうかぶ、小さな島だよ。
本当の名前は端島というんだ。
島のまわりをコンクリートのかべがかこみ、その上に高い建物がぎっしりならんでいるね。
遠くから見ると、海にうかぶ軍艦のように見えることから、軍艦島とよばれるようになったよ。
石炭をほる人たちの町
この島の海の底には、石炭がたくさんうまっていたんだ。
石炭をほるために、たくさんの人が島でくらすようになったよ。
小さな島に、アパートや学校、病院、お店などがあり、ひとつの町のようになっていたんだ。
1916年には、日本ではじめての鉄筋コンクリートの高いアパートも建てられたよ。
だれもいなくなった島
やがて、エネルギーのもとが石炭から石油にかわると、石炭をほる仕事がなくなったんだ。
1974年に石炭をほるのをやめ、島の人たちはみんな島を出ていったよ。
いまは、だれもすんでいない島で、建物はくずれかけているんだ。
2015年には、「明治日本の産業革命遺産」のひとつとして世界遺産にえらばれたよ。
3枚の塗り絵
1枚目は、島に残る鉄筋コンクリートのアパートのあとだよ。
柱とはりが四角いますのようにならび、たくさんの家族がくらしていた部屋の窓が見えるね。
2枚目は、近くから見た島で、高いコンクリートのかべの上に、窓がならぶ建物が見えるね。
島の小高い所には、白い灯台が立っているよ。
3枚目は、島の中の赤レンガの建物あとと、こわれたコンクリートの建物だよ。
大きなアーチの窓がならぶレンガのかべは、むかしの会社の建物のあとなんだ。
波からくらしを守ったかべ
軍艦島は、海の中の小さな岩の島を、まわりをうめたてて広げて作った島なんだ。
島のまわりの高いコンクリートのかべは、台風の大きな波から、島のくらしを守るためのものだよ。
島の中には、石炭をほるための大きな機械や、ほった石炭を運ぶ設備もあったんだ。
石炭は、海の底のずっと深いところまで、トンネルをほって取り出していたよ。
いまは、こわれかけた建物が、むかしのくらしのようすを伝えているよ。
見学のときは、ガイドさんが島の歴史をくわしく教えてくれるんだ。
軍艦島(端島)の色を塗るコツ
コンクリートは、灰色を何色か
建物やかべのコンクリートは、灰色でぬってみよう。
1色だけでなく、うすい灰色、こい灰色、少し茶色っぽい灰色をまぜると、古い建物らしくなるよ。
窓のあなの中は、こい灰色にすると、建物に奥行きが出るね。
赤レンガは、赤茶とオレンジ
3枚目の赤レンガのかべは、赤茶やオレンジでぬろう。
レンガ1こずつ色を少し変えると、本物のレンガのように見えるんだ。
手前のがれきは、灰色やうすい茶色で、石ごとにぬり分けよう。
青い海と空で、島をうかび上がらせる
2枚目の海は、こい青や紺でぬると、灰色の島がよく目立つよ。
空は水色、雲は白く残そう。
島の岩山の木や草は、緑と黄緑で、ところどころにぬってみよう。
灯台は白く残して、まわりの空を青くすると、くっきり見えるね。
古い建物の、さびと苔
3枚目のこわれた建物は、ところどころに茶色のさびや、緑の苔を少し入れてみよう。
灰色のコンクリートに、茶色や緑がまざると、長い年月がたった建物らしくなるよ。
がれきは、大きい石を先にぬって、小さい石をあとからぬると、ぬりやすいね。
赤レンガのアーチの窓の中は、こい灰色にすると、レンガの赤がうき上がるよ。
灯台は白く残して、空を青くしよう。
軍艦島(端島)の豆知識
人がぎっしりの町だった
いちばん人が多かったころ、軍艦島には5000人以上の人がくらしていたといわれているよ。
小さな島にこれだけの人がすんでいたので、人の多さは、そのころの東京23区の約9倍だったといわれているんだ。
小さな島の中に、くらしに必要なものがぎゅっとつまっていたんだね。
いまは船で見学できる
いまは、見学ツアーの船に乗って、島の一部に上陸することができるよ。
でも、波が高い日は船が島につけないので、上陸できないこともあるんだ。
建物がくずれる危険があるので、決められた通路だけを歩くんだよ。
富士山の塗り絵とあわせて、日本の世界遺産めぐりをしてみよう。
産業革命遺産のなかま
「明治日本の産業革命遺産」には、軍艦島のほかにも、九州や山口県、静岡県、岩手県などの23の場所がえらばれているよ。
明治時代の日本が、鉄を作ったり、船を作ったり、石炭をほったりして、工業の国になっていったことを伝えているんだ。
軍艦島は、その中でも石炭の仕事を伝える場所なんだよ。
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軍艦島のアパートのあと
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近くから見た軍艦島
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赤レンガの建物あと
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